2009年8月3日月曜日

Noh, Kabuki, Bunraku and other traditional performing arts and Osaka/ 能狂言、歌舞伎、文楽その他の伝統芸能そして大阪


 To see Noh, Kabuki, and Bunraku is fun.

Noh ( and Kyougen. When you say Noh means Noh and Kyougen. Noh is a kind of straight play and Kyougen is a comedy. They play on the same stage as a part of day's programme) is mainly tragic play and its history goes back to 1000 years ago. Kabuki also is a traditional play which name is very popular among foreign countries. Bunraku is a puppet play, but not for childern, its story is very complicated and the whole story of a play takes very long time to act, from morning to dusk! I also like Bugaku, Rakugo, Koudan, Roukyoku and other performing arts. Japan is the one of the countries which holds so many traditional performing arts.

There are older countries than Japan, but they lost their traditional culture. We have been keep them for centuries and a thousand years.

http://en.wikipedia.org/wiki/Bunraku

  古典芸能を可成り見ます。

能狂言、歌舞伎、文楽。それ以外にも舞楽や落語にと何でも見たり聞きに行ったりします。実は、日本の古典芸能は世界でも珍しい位に伝統的に続いています。世界には日本よりも歴史も文化も古い国は沢山あるのですが、日本程こう言う風には残されていないのです。


  Last week I went to National Bunraku Theatre for seeing the latest piece of Bunraku, Tempest, yes, a master piece by Bard. The play originally made for Japan festival in London in 1991, but it did not make it out. Later, the play performed then Kintetsu Art Theatre in Osaka and then Globe Theatre(it used be a theatre for Shakespear's but it deformed into really strange theatre managed by Japanese entertainment giant...) in Tokyo.

This time the play write and the composer remake it.


  先週は文楽劇場に文楽を見に行きました。新作も新作、最新作の文楽で原作は大文豪シェークスピアのテンペストです。元の上演は91年の連合王国(所謂イギリス、英国の事です。ですが、この言葉はもともと中国語で、この語だけでは意味としても不完全で大変差別的な印象のある言葉です。敢えて強引なたとえで言うと日本国と言う名前を外国人が勝手にYamatoと言う風に言うてる感じです。通称イギリスの正式英語名、United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandの中には英と言う意味も雰囲気も有りません。「連合王国及び北部愛蘭土」がまだましです )のロンドンで開催されたジャパン・フェスティバルで上演の予定だったのですが、公開されずその後に大阪の近鉄アート館、東京のグローブ座で初演されました。今回の上演は、演出や作曲も練り直しての上演です。

http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku/index.html

http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/bunraku/en/


  i like the design of this fryer.

 このチラシのデザイン良いですね。


  Osaka is rich in these performing arts and culture. At the moment you are not able to see these traditional arts Tokyo and Osaka and some times in Kyoto. Osaka used to be the best Theatre District of Japan before Tokyo became the capital of the nation. Tokyo is now champion of this field. Almost all of region in Japan copies Tokyo trend and always look at Tokyo politically, culturally and commercially, Osaka remains its unique culture and do not follows Tokyo way.


  大阪はこう言った伝統演劇や芝居文化に直に感じれる場所です。この手の舞台を頻繁にやってる所は東京と大阪しかないです。文化全般に関して言うと東京の一極集中で、ある意味文化的首都とも言えるでしょう。そして、日本の多くの地域は殆ど東京のマネをしたがり、常に東京志向かも知れません。大阪は違います。大阪は常に独自の視点を持ち続けていますし、東京のマネを好みません。



  this is a fryer of tempests and made for tokyos natl theatre.

  国立劇場向けに作られたテンペストのチラシ。


  I had better seeing these live shows as long as I am living here. If you don't, that's mottainai. So I like to go these theatres Ohtuki Noh Theatre, Osaka Syotikuza, National Bunaraku Theatre.

The three plays have been called "The Three Traditional Perfoming Arts". Kabuki and Bunaraku is very similar in some ways, because the golden age of these two plays are owe lots in the Great Play Wright TIKAMATU Monzaemon, who is known as the "Japanese Shakespeare", I suppose that Zeami, who is an actor and a play wright, company manager, and staging director of Noh in 15 th century, suits for that title anyway. The Japanese Bard born in Samurai and decided living as a writer and to became a commoner, over all, to do with theatre or entertainment meant to be a kind of disgrace for upper ranks. Be alive in one's interest, that's Osaka, after all. Osaka(then Ozaka) was a city of merchants, commoners where as Edo(then Tokyo) was city of samurais. Ozaka was capital of culture and business, and Edo was capital of politics and bureaucrats.

Bunraku remains those memories of Ozaka in a way.

http://en.wikipedia.org/wiki/Chikamatsu_Monzaemon


  折角大阪に居るのならば、この大阪ならではとも言える演劇、芸能文化を味わわないとモッタイナイです。と言う事もあり、大槻能楽堂、大阪松竹座、文楽劇場などに良く行きます。能、歌舞伎、文楽は三大古典劇と言われています。歌舞伎と文楽は共通した部分もあり、黄金期も同時代です。又、日本のシェイクスピアと呼ばれる近松門左衛門が両方の脚本を書き、文楽、歌舞伎ともこの作者に負う所も大きいです。因に個人的には日本のシェイクスピアは能の役者、作家、演出家、座長であった世阿弥の方が近いと思いますが・・・。当時の大阪(大坂、発音もおおざか)は商人中心で庶民文化。江戸は士分中心で政官文化。近松は武士出身ですが、大坂で平民、しかも当時身分は低かった芝居関係で身を立てる事を決意します。これも大阪的なはなしです。


  Whenever I go to Noh, Kabuki and Bunraku, I leave my brommie at reception or front desk. Not only these theatres but when I go to museums, classical concert halls, and some times night clubs too, but I haven't been night clubing, perhaps life with bike makes me much healthier, donesn't it!!


  能、狂言、文楽などを見に行く時には受付にブロを預けます。古典以外にも、美術館、クラシックコンサートや演芸、演劇などの時にもです。あ、クラブに行く時にも預けてたな、けど最近クラブとか行ってないんですよ、自転車乗る様な健康な生活になったからですかね?




my friends shop bici termini is just a minute walk from ohtuki noh theatre. after seeing noh always dropped in his place and have a chat or go to dinner with miyatti the owner.

http://www.noh-kyogen.com/english/index.html

http://bicitermini.com/b/


友達のやってる自転車屋ビチ・テルミニのから歩いて一分の所に大槻能楽堂はあります。勿論、ここでも会場に持ち込みます。観劇後、テルミニに寄って喋ったり店主のみやっちと一緒に晩ご飯に行ったりします。

http://www.noh-kyogen.com/

http://bicitermini.com/b/


a bit blurred. me in front of osaka syotikuza with brommie. they charges 100 yen for leave the goods. i left my inverness coat, brommie, bag its cheap for 100 yen.

http://www.shochiku.co.jp/play/shochikuza/gekijyo/

ちょっとピンぼけ。松竹座の前でブロと一緒に。松竹座はいつも荷物預かりに100円取ります。ブロと鞄と鳶コートですから100円が高い訳では決して無い。



  My friend A2C the Missionary of outdoors, wanted to see some traditional performing arts since he also lives in Osaka and do not want to miss these legacies, so I hear.

I asked him to go the play of Bunraku and he said yes.

He was going to be late for his job, I told him to come to the theatre by his brommie, because that should be the best solution to make it out. Using bike when you left the terminal station in city centre is best way to come here. We enjoyed the show and then picked up our brommies and go back home.

http://a2c-niti.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-43d4.html


  友人の『アウトドアの伝道師』事A2Cさんはかねてから、せっかく大阪に居てるのやから古典芸能も体感したいと言うてはったので、文楽に誘ってみました。仕事で少し遅れるかもしれないと言うので、是非ブロで来て下さいと伝えました。会社帰りで混む大阪の中心部の駅を出て自転車で一直線に日本橋迄来るのが最短時間と思えます。観賞後はブロを受け取ってそれに乗って帰りました。

http://a2c-niti.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-43d4.html


  a staff member of bunraku theatre checks the missionary of outdoors brompton.

  アウトドアの伝道師のブロを確認する文楽劇場職員。

About the show. IMO.

It was very interesting to see that world famous author's just another version. The music is excellent, and the puppets did well. The narraters, tayuh in Japanese terms, leaves to be something desired, to be frank. The narration was beaten by the music actually. Since this play has no fore player, Masters for trainees, the Seniors, the sample or copies from the tradition, so you have to create new characters. From that point, narraters had to do more and more because the narrater is the main dish of menu. If the main dish is just OK means that the whole course of the menu is OK, isn't it! HOWEVER,IT DID NOT MATTER, the play did succeed because A2C did enjoyed and he was the first timer, THIS IS VERY IMPORTANT. I have seen lots of traditional (and non traditional) stages and I knew too much in this field, but if there will be no fresh audience, any kind of arts will be die!!! The same goes to the field of bikes. I just do not want to be a maniac bike lover, be an ordinary one.


公演に就いて。私見。

世界的文豪作品の文楽版としては、楽しめました。三味線は可成り良かったですし、人形も良かったです。ただ、大夫が弱いなと言う感じがしました。音楽に負けてる大夫と言う雰囲気です。これは全くの新作に当たるので先人や師匠、見本など無いので一から役を作らなければなりません。そう言う意味で言うと、大夫は文楽と言うフルコースのメインディッシュな訳ですから、ここが『まぁまぁ』では料理全体が結局は『まぁまぁ』に成ってしまいます。

で・す・が。そんなんどうでも良い事です。詰まり、全くの初心者で、初めて見るA2Cさんが楽しめたからこれは成功なのです。僕は古典芸能(とそれ以外にも)を大変多く見て、色んな事を良く知っています。けどA2Cさんは『初心』です。そして、この初心のこれから見て行く人が増えて行かなければあらゆる芸能は死んで行くのです。こう言った人たちが満足する事も大変に大事な事なのです。自転車も大衆に広がってこそなんぼです。自転車通の「スポーツバイク」乗りだけではまだまだです。僕は自転車通ではなく普通でいきます。普通へいせい

平成21年8月23日追記
新しいブログに文楽の事を書く。
http://mandanhoudan.blogspot.com/2009/08/21.html

9 件のコメント:

  1. 先日はお誘い頂いてありがとうございました。

    僕は初めて何かを見る時、
    できるだけ情報を入れないようにしています。
    あらすじくらいは見る場合もありますが、
    初見で楽しめないようなら、
    その程度だという事だと思うからです。
    例えば劇団四季の「オペラ座の怪人」は一緒に見に行った方の話によると、
    「映画を見てきてればもっと楽しめたのに・・・」という事だったのですが
    予習しないと楽しめないようなもんは、
    どうなんやろ?と思います。
    そういう意味では、今回の文楽は非常に楽しかったし、また見たいな〜と思いました。

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  2. UK(GB)は扱いが難しいですね。オリンピックのときとワールドカップのときは出場の仕方が違いますね。
    国民(?)も6種に分けていて、植民地主義の矛盾はなかなか解消しそうにありません。
    シェイクスピアは連合国人の中の何人だったのかしら。
    いやそのときはどういう国であったか、どうも大兄が現在連合王国と呼んでいる地域の歴史を知らないとどう呼んでいいかなかなか確定が難しいかもしれません。
    ちょうどEnglandがWalesを併合しScotlandと連合する連合王国を形成していく時代に活躍しています。
    連合王国人(少なくとも現在言う)ではなかったと思います。
    この辺は、ゲルマン系アングロサクソンがケルト系ウェールズ人、アイルランド人、スコットランド人を征服していく歴史のように私には思えます。イギリス民族という民族はいないにしろ、EnglishというのはEnglandのAnglo Saxonと理解しています。
    色々考えていますと、「英国」なり「イギリス」なりと呼ぶのが都合がいい、あるいは正しいのではないかと思われることもあるように思うのです。
    大兄の意見が表明されましたので、イングランド、ウェールズ、アイルランド、スコットランド史を含めた連合王国史を調べてみようと思ったのですが、これはなかなか大変な作業であると知れてきました。いや複雑!(笑)
    上記も英国史と言えば一つの概念のもとに一言で済むのですが。

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  3. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

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  4. アウトドアの伝道師
    >初見で楽しめないようなら、
    その程度だという事だと思うからです。

    僕もそうやと思います。しょせんは娯楽です。見て、聴いて、
    感じて貰ってなんぼの世界やと思います。これは、古典に
    限らず舞台、美術、芸術なんでもそうやと思います。
    もっと、言うとブログとかもそうなんかもしれないと最近は
    思う様になりました。結局公開を前提にしてる訳ですから、恐らく
    読んで貰ってなんぼやと思います。

    特に、文楽は戦前の頃迄は大衆芸能の王様の様な
    存在であった様です。なので、辺に古典でゴザイ、伝統芸能で
    ゴザイと言う感じに成られても面白味がないかも知れません。

    落語を解ろうと思うと、文楽と歌舞伎は切り離せないです。
    歌舞伎、文楽(要は義太夫とか浄瑠璃ですね)を解ろうとする
    なら能狂言が解らんとイマイチです。能狂言を味わう為には、
    舞楽/雅楽、更には古事記、万葉集や古今集伊勢物語などの
    古典に親しまないと深い所に付きません。
    そして、これらの殆ど全てを関西で生で体験出来るのです。
    また、行きましょう。

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  5. kaneyoshiさま
    こちらでは初めまして。コメント有難うございます。
    大人からのご質問やコメント、いつもちょっとドキッと
    しながら読んでいます。言葉と外国語に関しては大人の方は
    遥かに私よりも奥の深い所に進んでおられると思いますので、
    いつも恐る恐る応える様にしています(笑)

    沙翁に関しては私は全くと言うくらい語るものを持って
    いません。勿論その作品や有名な台詞や映画化、
    本案ものは沢山存じてますが、自分の英語力も怪しいですし、
    沙翁の時代の英語は他の欧州言語の様で原文は読んだ事
    もありません。現代英語にリライトされたものも読んだ事が
    ないのです。もしお薦めの良い現代英語版があればご紹介下さい。

    >「英国」なり「イギリス」なりと呼ぶのが都合がいい、
    あるいは正しいのではないかと思われることもあるように思うのです。

    良くモノの本などにはそれこそ沙翁の時代頃に渡来した南蛮人の
    中に東インド会社系の西ヨーロッパ人、詰まりイングランドや
    オランダ(当時はオランダではないでしょうが、便宜上これで)
    等の人間も堺には来ていたと有ります。その時にはブリタニア=
    猊利太尼亜と言う概念は有っても国号にはならなかったの
    でしょうね。英、蘇の列強とウエールズや愛蘭土の併合に躍起
    になってるころと言えば、日本でも秀吉が半島、大陸に侵略に
    執着した時代から徳川が内国経営に腐心した時代で、南の琉球は
    勿論独立国ですし、九州や西国も徳川に恭順なだけで、隙を
    伺っていました。北の松前氏や更に北は日本ではなかった、
    アイヌの土地であった訳ですから。
    今、喜納昌吉や故萱野茂を日本人と言う風に言っても抵抗は
    そうは無いと思うのですが、彼らを大和と言うキーワードでは
    決して捉えられないと思います。

    こう言う話はどんどん脱線して行き私も好きなのですが、
    ちょっと纏めますw
    連合王国と言う名称は、直訳的で良いと思います。
    英語の語感にもっとも近いと言う感じです。英国と言う漢字を
    どう想像力を巡らしても、連合王国(イギリスと言う文化、風土、
    言語その他あの島国の持つもの)には近づけないと思います。
    何故なら、これはEnglandの中国語音訳、英国=Ying guo
    イングォを日本語読みしてる筈だからです。
    連合王国と言う名称なら何が連合してるのかと言う風に
    考えると思います。それで、複雑な名前の背景理解に至るとも
    思えます。そうなるともっともっと今イギリスと呼ばれてる
    国の文化や風土、更には言語に就いても色々と関心や興味
    を持って接せるかも知れません。

    長く成りました。
    又是非こちらにもお寄り下さい。

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  6. 連合王国について再び申し上げます。
    英国という名称ですが、それが差別的であるというところが分りかねます。
    ウェールズとかアイルランド、あるいはスコットランドを除外している概念だからということでしょうか。
    これは反論というのではなく純粋な疑問です。
    わたしの今までの理解ではイギリスはオランダ語のEngels、
    あるいはポルトガル語のInglesを英吉利と日本人が当て字したと思っていましたが中国人が先でしたか。日本は輸入したことになりますね。
    「ス」の字が欠けるのが気になってはいたのです。
    中国語では利に「リス」という発音があるのかしらとも思っています。
    調べてみると、中国語と日本語が一致するものが多いようです。
    たとえばフランス、スペイン、ポルトガル、などなどですが
    イタリアは日本では伊太利亜ないし伊太利、中国では意大利、
    アメリカは亜米利加と美利堅と異なりますが、
    これももしかすると中国が使っていたいくつかの当て字のうち
    日本で定着したのがこれらというのかも知れないと思うに到りましたが、
    本当はどうなのでしょうか。
    それから在日英国大使館ですが、
    自分たちで英国大使館と名乗っているのですから
    「英国」と呼ぶことを差別とは思っていないように思います。
    それとも「英」という文字には差別的な意味があるのでしょうか?
    いずれにせよ、他国をどう呼ぶかは難しい問題かもしれません。
    ヨーロッパでは開き直って(かどうかは知りませんが)、
    自分勝手に自国呼びしているところが多いと思います。
    ポーランド語ではイタリアのことをヴオフのように言います。
    黒髪国といった感じです。
    独逸ニエムツェは聾話国、随分ひどい物の言いようですが定着してしまいました。
    そしてフランスで言うアングレテール、イタリアで言うインギルテッラ、独逸で言うエングラントも日本のイギリス、英国の概念に近いものがあります。
    政治的にはグランブレタニアとかグロスブリタニエンと呼んでいると思います。
    UKもRegno Unito連合国と呼ぶことはします。
    BBCがどう呼んで、Timesがどう書くかに、
    他国のマスコミは合わせようとはするのでしょうが、
    日本がそうであるようになかなか連合王国人の思い通りには行かないようです。

    東京グローブ座の前はよく通ります。
    このくらいの距離なら自転車でOK。
    でも、行った事ありません。

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  7. kaneyoshiさま

    >これは反論というのではなく純粋な疑問です。

    いえいえ、何にせよ貴重な意見ですし、こう言う反応や受け答え
    が私は好きですしブログなんですから色んな人の意見や異論が
    聴けて嬉しいです!

    英国と言う呼び方自体には差別も何もないと思います。
    連合王国内の英国地方を指す、言葉としてです。
    ですが、日本人の良く使う、『英国のスコットランド
    (アイルランド、ウエールズ)に行った』とか言う表現が
    可笑しいと言う訳です。
    勿論、英語もEnglishの訳として良いと思います。

    もう少し言うと、「朝鮮のソウルに行った」とは言わないと
    思いますし、「中国のモンゴルに行った」とも言わないと
    思います。いや、口語としては言う事も有るかも知れませんし
    旨く二国の関係が掴めなくてそう言う風に表現する事もあるやも
    知れませんが、少なくとも何がしかの『文書』で表すには適切
    では無いでしょうし、会話でも私なら、『韓国のソウル?』
    『内蒙古自治区?』と聞き返します。
    最近は上の様な会話も少なく成ってきましたが、大日本帝国の
    時代を生きた世代の方などは普通にそう言う風に言うていました。
    半島としては朝鮮ですし、平原としてはモンゴルですので、
    こう言う表現が全ては誤ってるとは思いません。英語、英国も
    同様です。

    しかし、この一地方や方言を指す言葉がブリテンとかを断じて
    表現するものでは無いですし、正式名称としてはUnited Kingdom
    となってますし、これを和訳しても「英」と言う概念も音も意味も
    入ってなさそうです。

    確かに公用語も日常語もほぼ完全に英語になりゲール語や
    ウエールズ語も話者は少ないでしょうが、英語は矢張り、
    簒奪者の言語と思います。英国と言う表現もそう言う部分と
    表裏一体と思います。ですが、ここではそこ迄は言わずに
    純粋にUKの日本語訳としては連合王国(及び南部愛蘭土)以外には
    無いと思います。

    >これももしかすると中国が使っていたいくつかの当て字

    漢字表記ですが、仰せの様に漢語です。大和心ではないです。
    福沢諭吉などが用いていた文献などは漢訳が多かった筈です。
    それらは大阪や江戸でインテリの手に入りましたが、洋書は禁制
    でしたので漢訳は活躍していたと思います。
    その頃には東インド会社は香港を手に入れていたので、既に西洋
    諸国を漢字表記可能になっていました。1800年代の中頃です。
    ただ、これは広東語の音訳なので今の北京語主流の中国語と
    発音や微妙な意味が違います。日本には広東語訳の漢字表記が
    入って来たので、現代中国語の漢字表記とは違うものもありますし、
    中国人からしたら変な表記に思えるものの昔から(広東語由来)
    あるのでそういう風に表記してると言うのも有る様です。
    また、明治の頃は日本でも漢風の流行が有り敢えて中国式を
    採用したと思います。何と言っても当時はまだまだ大清帝国で
    日本は世界を知り始めたばかりですから。

    >自分たちで英国大使館と名乗っているのですから

    この辺は憶測で書きます。
    何と言うてもこの辺の官僚の事は大人の方が良くご存知と
    思えますし、欧州人の気質や文化に就いても遥かにご存知と
    思われますし。

    日本で、ソープランド言う名前が発明される迄はトルコと
    言う名称に日本国中誰も疑問を持たずにその名を使って
    いました。↓彼が何かをする迄大使館は何もしなかったと
    思います。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/ヌスレット・サンジャクリ

    東京の大使館にいらっしゃる方々は日本の下々の事や、
    漢字の意味などはご存知ではないと思えますしそんな事
    が国益や彼らの利益にも成らないと思ってるのでは。
    高級官僚に何かを期待してもと言うのは世界共通かも
    と又しても釈迦に説法・・・。


    グローブ座はジャニ系なんですね!これを書く迄知らなかった。

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  8. 東京、下町に人形町という所があって
    昔は人形浄瑠璃に係わる人達が多く住んでいた場所だったようです。
    (辻村ジュサブローのアトリエも確かここにあったはず、
    昔探して見つからなかった)

    仕事で時々この辺りを歩くことがあり、
    路地を入ると下町らしい雰囲気の良い小さなお店が沢山あって
    とても面白い所です。
    通りによって色んな市が開かれていたり
    ついつい時間を忘れてしまいます。

    文楽、残念ながらあまり見ません。
    曽祖父(祖父の父)は能面を作る職人だったようで
    祖父はその曽祖父を嫌っていたようです。
    その影響なのかお面や人形というのを父も何故か嫌がります。
    僕にはそのような偏見はないのですが周りにそのような雰囲気があったので
    間接的に何らかの影響があるのかもしれません。
    しかし今は機会があれば是非拝見したいと思います。

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  9. 人形町、由来はそうだったのですか、それは知りませんでした。
    御曾祖父さまは面打ち師だったんですか、これも何か意外な
    話ですね。時代的には幕末ですね、御曾祖父さまの頃なら。
    我々から4代前と言うと江戸時代と言うのも意外と言えば
    意外ですね。

    >しかし今は機会があれば是非拝見したいと思います。

    最近はちょっとしたブームなのか、文楽劇場も人が多いです。
    10年くらい前は空席の目立つ感じでしたが、休みの日などは
    満員です。これは東京の方程そうだと聴きました。
    以前、知り合いの三味線引きと話してると東京はいつも
    満員と言う風に言うてました。その頃は大阪は今よりも遥かに
    客も少なかったです。僕も最近になってやっと見方が解った
    来た様な気がしますw
    是非機会があれば見に行って下さい。

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